明日はモラ夫に会わない
モラ夫が
日曜日は休みだと連絡してきても、
私は全然気分が乗らない。
ハッキリ言って会いたくない。
が、
敵対心むき出しのメールをする訳にもいかない。
言葉を選んで、
私 :明日も暑いみたいだから家で勉強してる。
モラ夫:本当に暑いです。
ビール飲みたい。
十和田から運んだ自分の荷物も片付け終わりません。
「ビール飲みたい」と誘ってこようが、
モラ夫に会いたくなかった。
一緒にいて、
楽しくないんだもん。
娘とモラ夫の距離
娘が、
子育て支援センター(保育園)や、
未就園児教室(幼稚園)に通っていることは報告しているけれど、
どこの保育園、幼稚園に通っているか、
モラ夫には一切、教えていない。
また、
私と娘の普段の過ごし方も一切、教えていない。
今まで
娘の父親だから
と思って報告していたけれど、
モラ夫のコントロールが解けてから止めた。
振り返ってみて、
私が育児について、
「どうすればいいかな?」「どう思う?」
と意見を聞いても、
モラ夫から答えが出てきたことは、
皆無に等しい。
その時は答えは出さず、
私が育児で失敗したり、ストレスで爆発してから、
私のやり方・人格を批判するのが
毎度、モラ夫の手口だった。
モラ夫は、
「(娘は)元気か?」程度の話だけで、
それ以上深く聞いてくる様子も無いから、
私もわざわざ教えない。
娘の誕生と同時に始まったモラハラ
出産・退院後。
私は実家で娘と過ごしていた。
生まれた時から娘は食が細くて体重が増えず、
娘が飲んでくれないから私は母乳が詰まり、
1ヵ月検診まで毎週、母乳外来に通った。
初めての育児とおっぱいトラブルで頭がいっぱいなところへ、
週末になればモラ夫がやってきては、
モラハラを仕掛け、
口論ばかりの週末だった。
おっぱいトラブルが解消したのは産後8ヵ月。
その間、
ミルク+搾乳した母乳を飲ませていた。
母乳の出が良かったから
母乳で育てたい母親心が強くて、
面倒だと思いながらも1日のうち数時間を費やしていた。
そんな時間配分と母親心が
モラ夫との溝をどんどん深めていったと思う。
でも当時の私は、
育児で頭がいっぱいだったから、
深まっていく溝を何とかしようと、
話し合いの場を設けてみたり、
モラ夫の言いなりになったり(夫婦生活含む)、
自問自答して変わろうとしたけれど、
育児中心の身動きの取れない私は
モラハラのスパイラルに陥っていった。
スパイラルから脱出するまで、
1年9ヵ月かかった。
用事があって八戸に来た帰り道。
毎回、泣きながら運転していた。
“不衛生”の一言
半年ぶりに、
モラ夫の実家の義両親に顔を見せに行った娘。
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その日のお風呂上がりに、
娘は足を痒がっていた。
虫刺されを発見。
モラ夫の実家は、
家を囲むように木があり、
家庭菜園の畑があり、
溜めている水にボウフラがいて、
義母のように
ブヨに刺されて顔を腫らすこともあるようで・・・
家中をネコの毛がフワ~っと漂っているだけじゃなく、
外も見事な住環境。
思い出すだけでも、
体が痒くなる。
もう娘を行かせない。